川村 英司 2004-2005年度 第1回 レクチュア・コンサート

 2004年10月12日に第一回 のレクチュア・コンサートを終えました。当日話したことと,一部は違いますが、この原稿に従って脱線をしながら進めました。脱線と言えば、ジェラルド・ムーアさんやエリック・ヴェルバ先生、ギュンター・ヴァイセンボルンさん、ヘルマン・ロイターさんとの思い出なども話しました。30年40年前の話も僕にはいつも新鮮な思い出として残っていますので。

 2004年10月12日18時30分

 Hugo Wolf 作曲 「イタリア歌の本」 第2回 第2巻より 

バリトン:川 村 英 司

ピアノ:小 林 秋 恵

 

今回は前回に引き続き「イタリア歌の本」の後半第2巻より男性が歌える曲について話します。イタリアに限ったことではないと思いますが、イタリア女性の色々な面がとても面白く描かれて作曲されている割には、男性はそこまで描かれていないようにも思いますが、ドイツやオーストリア人が憧れているイタリアと言う国、また人間性がヴォルフによって豊かに描かれていると思います。ハイゼが編集、独訳した膨大な古い詩の中からヴォルフが46曲を選んで作曲したのですが、同じ詩集からヨーゼフ・マルクスが17編の詩を選び "Italienisches Liederbuchモ nach Gedichten von Paul Heyse" としてBand 1 (9曲)、Band 2 (8曲)で出版していますし、E. ヴォルフ=フェラーリがOp.11とOp.12として各々4曲づつを "4 Rispetti " と題して作曲しています。この中にはヴォルフと同じイタリア語の詩に作曲されたものもありますが、独訳はヴォルフ=フェラーリ自身がしましたので言葉使いは、ハイゼとはちがっています。下記に記しましたのでその違いを見てください。

 

原詩( Rispetti,恋歌 [6行また8行の俗謡詩] )

ハイゼの詩の邦訳 喜 多 尾 道 冬

Sia benedetto chi fece lo mondo:(!)

祝福あれ、この世を創られし方に

Lo seppe tanto bene accomodare.(!)

その方はこの世をすばらしい森羅万象の国にされ!

Fece lo mare e non vi fece fondo,

その方は底の無い海を創られ、

Fece le navi per poter passare.

その方は海の上を渡る船を創られ、

Fece le navi e fece il paradiso:

その方は永遠の光明に満ちる天国を創られ、

E fece le bellezze al vostro viso.

その方は美しい人を、あなたの美しい顔を創られたのだ。

ハイゼの独訳

ヴォルフ=フェラーリの独訳

Gesegnet sei, durch den die Welt entstund;

Hoch sei gepriesen der Schöpfer der Erde !

Wie trefflich schuf er sie nach allen Seiten !

Er wußte sie vortrefflich zu gestalten.

Er schuf das Meer mit endlos tiefem Grund,

Er schuf die Meere, er schuf sie ohne Grunde,

Er schuf die Schiffe, die hinübergleiten,

Er schuf die Barken die sie kühn durchfahren.

Er schuf das Parasies mit ew'gen Licht,

Er schuf die Barken, er schuf das Paradies.

Er schuf die Schönheit und dein Angesicht.

Er schuf auch all die Reize in deinem Antlitz.

これらのことは全回話すべきことでしたが、うっかりして触れていませんでしたので今回話すことといたします。原語のイタリア語は同じでも訳し方で違い、作曲家によって音楽もこのように違うのです。

例えば   Fece lo mare e non vi fece fondo, をヴォルフ=フェラーリは直訳のように  Er schuf die Meere, er schuf sie ohne Grunde, と訳し、ハイゼは詩の後韻をふんで、より詩的に  Er schuf das Meer mit endlos tiefem Grund,  と意訳のように訳しました。

最初にこの曲を比較して歌います。最初にヴォルフ=フェラーリをイタリア語で、次にドイツ語で、最後にヴォルフを歌います。

如何でしたか? 当然のことWolfとWolf=Ferrariの曲に対する捕らえ方の違いが分かるかと思います。

Ermanno Wolf=Ferrariは1876年1月12日にヴェニスに生まれ、1948年1月21日に同地で没したイタリアの作曲家で、1892年から95年までミュンヒェン音楽院でラインベルガー教授に師事しました。1902年から9年までヴェニスのマルチェッロ音楽院の学長を務め、数々のオペラブッファを作曲しました。

前回話をし忘れたヨーセフ・マルクス(Joseph Marx)の「イタリア歌の本」について少しだけ話します。
ヴィーン音楽院の学長も勤めた彼は1882 にGraz に生まれ、1964 にGrazで没した20世紀を代表するオーストリアの作曲家と教育者で、彼に師事した作曲家、演奏家は大変に多く、Joseph MarxのHP(
http://www.joseph-marx.org/de/)によると「1255人の生徒を教えた」とあります。逸話も結構多く、語り継がれています。「ノートに書き留めると覚えないと言って、授業中は一切ノートを取らせなかった」というのも有名な話です。

彼の「イタリア歌の本」全17曲の中から "Sendung"を歌います。この詩は135もあるRispettoの24番目の詩です。

Sendung

(川村 英司訳)

Vier Grüßen send ich zu dir auf die Reise,

旅先より4っつの挨拶を君に送ります

Als meine vier getreuen Liebersboten.

僕の4っつの忠実な愛の便りとして

Der erste pocht an deiner Pforte leise,

最初に君の扉を柔らかくノックします

Der zweite soll vor dir die Kniee senken,

二つ目は君の前に両膝で跪きます

Der dritte dir die weiße Hand berühren,

三つ目は、君の真っ白な手に触れます

Der vierte soll dich doch bitten, mein zu denken.

四つ目は君にお願いします、僕を思うことを。

前回歌った "Heb auf dein blondes Haupt"(30番目の詩)に似て言うことを4っつに分けています。いずれにしろ他愛の無いことですが、男性の口説き文句の常套なのでしょう。歌ってみます。

マルクスはヴォルフが作曲していない詩を選んで作曲していますが、かなりヴォルフの影響を受けていると思います。これはどの作曲家にも言えることなのでしょうが、反発したにもかかわらず似てしまったり、作品に感動したことで知らず知らずに似てしまったりするのは当り前なのでしょう。ブラームスとヴォルフは皆さんがご存知のように非常に敵対した作曲家ですが、同じことが言えるのです。

15歳でWindischgraz(現在のSlovenj Gradec, Solvenia)からヴィーンに出てきたヴォルフが、直ぐにヴァーグナーのタンホイザーをヴィーンのオペラ座で聴きものすごい感動をしました。ヴァーグナーに自分の作品を見てもらおうと、ヴァーグナーのヴィーン滞在中、彼を追っかけ回し、やっと会った時に、彼から「若者よ、今は大変忙しいので作品をゆっくり見ることができないが、そのうちに見てあげますから良く勉強しなさい。」と丁重に追い返したのがヴァーグナーで、同時期に当時ヴィーンで絶大な支持者を持っていたブラームスにも作品を見てもらおうと、彼のもとを訪ねましたが、彼はヴォルフの作品を見てから「まだ君の才能を云々することは私には出来ないので、和声その他の勉強をしなさい。」と言って、当時有名な音楽理論家のノッテボームを紹介しました。(シューベルトの作品目録を最初に作ったのもノッテボームです。)ヴォルフはノッテボームのレッスンにはあきたらず、「くだらない先生を紹介された!」とブラームスに反感を持ったであろうと容易に推測できます。

ヴォルフが批評家をしていた時代にはその反感がブラームス一派に対する批判となり、過激な批評をすることとなり、ワーグナー一派を擁護することで、ブラームス一派の反感を買うこととなりました。

ブラームス一派の重鎮は音楽美学などの著書で有名なハンスリックで、ブラームス一派とヴァーグナー一派の論戦の渦中に飛び込まされたのがヴォルフでした。

そのブラームスとヴォルフが同じメーリケの詩に作曲していますが、詩から受けるイメージは二人とも同じで、その共通性は驚くほどです。相反している思考の音楽家同士でも詩を介すると同じ方向性が当り前だといえると思います。いずれ同詩異曲を並べて歌いたいと思います。

南国に対する憧れがオーストリア、ドイツなどの国民には昔から強かったと思います。温暖な気候だけではなく、文学、美術、建築、音楽など各分野にわたって憧れの的でした。勿論歴史的に見てもイタリア、スペインなどに描く羨望の念は非常に大きなものでした。

 

ヴォルフに戻りますが、彼の作曲状態は一般的に「火山が噴火するように楽想が突如として湧き出るかと思うと、ばったりと止まってしまい、次の噴火を待つまで楽想は止まったままでいる。」と言われます。

この歌の本の第1巻を1891年12月23日に書き終えてからはヴォルフの霊感が湧かなくなり、ぴたっと止まってしまいました。

そして第2巻の最初の歌 "Ich esse nun mein Brot nicht trocken mehr "が1896年3月25日に作曲できるまでに4年3ヶ月以上の月日が経っています。この曲のタイトルを「何もつけないパンはもう口にいたしませんわ・・・・・」とヴェルバ先生が書いた本を訳して出版されていますが、残念なことに誤訳ではないでしょうか?この曲の意味は男性にもてない可哀想な女の子が、悲しくて泣いているので涙でパンがぬれてしまいます。「もう普通に乾いたパンは食べられません」と言うことです。翻訳の難しさと言うものでしょう。

ヴォルフはテンポをメトロノームで示すことを第1巻では自筆楽譜ではまったくしていませんが、初版を出版する際に加えました。第2巻では1曲だけ自筆楽譜で記入していませんが、残りの曲はすべて書き記されています。

Was für ein Lied soll dir gesungen werden Perchtoldsdorf, 30. April 1896

この曲は第二巻の最後に作曲された曲ですが、この曲だけテンポ表示が無く、四分音符= 54はゲラ刷りから付いています。

5小節(参考資料1)に自筆楽譜では pp になっています。気持ちとしては柔らかい pp で歌い始めるのは良い表現が出来ると思います。

Ich ließ mir sagen und mir ward erzählt  Perchtoldsdorf, 28. März 1896

四分音符= 48が自筆楽譜に付いています。10小節目の歌唱部(参考資料2) _dau _ungに自筆楽譜ではポルタメントが付いています。この言葉を少しだけポルタメント気味に歌うことは曲の内容から言っても良いことと思います。詩の中のToninaとはToniの女性版です。

Schon streckt' ich aus im Bett die müden Glieder Perchtoldsdorf, 29. März 1896

四分音符= 42が自筆楽譜に付いています。些細なことですが、10小節の2拍目からdim. が付いているか、3拍目から付いているかで違いがあると思います。自筆楽譜では3拍目からです。

Laß sie nur gehn  Perchtoldsdorf, 31. März 1896

四分音符= 72が自筆楽譜に付いています。この詩を読んで皆さんはどのように歌っている男性が女性を考えていると思われますか?

自筆楽譜6小節目(参考資料3)や校正刷り1小節目(参考資料4)で付いているスラーはあったほうが良いように思います。聴き比べてください。後奏の初めの小節(18小節)の2分音符(参考資料5)に自筆楽譜ではアクセントが付いていますが、あった方が良いと思います。

Wie soll ich fröhlich sein und lachen gar Perchtoldsdorf, 12. April 1896 Sonntag Vormittag

四分音符= 76が自筆楽譜に付いています。9小節目の頭に(参考資料6)自筆楽譜ではfpが付いています。ある方が親切かと思います。14小節伴奏右手(参考資料7)の大きなスラーは15小節または16小節の自筆楽譜と同じで、小さな内声のスラーは16小節と同様であってしかるべきかと思いますし、15小節の自筆楽譜にあるスラーも、当然あって良いものと考えます。

Sterb ich, so hüllt in Blumen meine Glieder Perchtoldsdorf, 13. April 1896 Vormittag

四分音符 = 42が自筆楽譜に付いています。ヴォルフはKo.の4小節でIhrをihrに直しているが、8小節では見落としたと思われるので、初版、再販ではIhrのままになっています。どちらもihrで良いと思います。

Und steht Ihr früh am Morgen auf vom Bette Perchtoldsdorf, 3. April 1896

四分音符= 60が自筆楽譜に付いています。伴奏右手のフレーズが自筆楽譜では次の小節の1拍目までであるが、校正では4拍目の裏までである(参考資料8)。多分清書で変わったと思われますが、ヴォルフが直したのか、見落としたのか不明です。

Benedeit die sel'ge Mutter Perchtoldsdorf, 21. April 1896

四分音符= 69が自筆楽譜に付いています。36小節目にWie zu Anfang(初めのように)と書き38小節目「14小節は前のように」と書いているので始まりとまったく同じ強弱記号で印刷されていますが、其の通りに歌う事は避けるべきです。いわゆる歌曲形式のABAの歌い方や有節歌曲の歌い方と同じで、いわゆる同じ繰り返し足しません。

初版以降の楽譜では歌唱部の30小節のフェルマータの終わりの derにLangsamがあり、自筆楽譜では31小節の頭のWahn-sinnからLangsamになっています。表現の仕方で色々に歌えますが、僕はderからLangsamにするよりWahnsinnからの方を薦めます。色々に歌ってみますので、聴いて下さい。

 

Wie viele Zeit verlor' ich, dich zu lieben ! Perchtoldsdorf, 2. April 1896

四分音符= 52が自筆楽譜に付いています。この詩を読んで皆さんはどのような心理や情景を想像されますか?大袈裟な表現をしてもよいと思われませんか?

Wenn du mich mit den Augen streifst und lachst Perchtoldsdorf, 19. April 1896

四分音符= 54が自筆楽譜に付いています。5,6,7小節の自筆楽譜(参考資料9)をどう思われますか?聴き比べてください。

Heut Nacht erhob ich mich um Mitternacht Perchtoldsdorf, 25. April 1896 Nachmittag

四分音符= 50が自筆楽譜に付いています。2小節目の伴奏右手のフレーズィング(参考資料10)を、また16,17,18小節の伴奏右手(参考資料11)のタイをどうお感じになりますか?

 

Nicht länger kann ich singen Perchtoldsdorf, 23. April 1896 Nachmittag

自筆楽譜では 四分音符=46 で、校正刷りでは 四分音符=86に変わっている。全集では自筆楽譜に戻ってい増すが、当然46で無ければ歌えないと思います。

O wüßtest du, wie viel ich deinetwegen Perchtoldsdorf, 26. April 1896

♪= 108が自筆楽譜に付いています。楽譜の上では大きな違いなど特筆することはありませんが、自筆楽譜から初版、再販に至る違いは全音版で見ていただきたいと思います。この詩を読んでどんな心理の男性が歌っていると思われるのでしょう?上手く言えませんが、彼女の気を引くために哀れっぽく見せて歌う歌と思います。

 

これで「イタリア歌の本」の第2回を終りとします。質問のある方がおられましたらどうぞ手を上げてください!疑問質問に応じます。

 質問が無ければこれで終りとします。

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